パワースポット 帯廣神社

北海道には数多くのおすすめエリアがあるが、豊かな自然が神秘の力を宿してくれるパワースポット系に注目してみよう。帯広で人気のあるパワースポットといえば、間違いなく「帯廣神社」だろう。

パワースポットとは、「大地のエネルギーが溢れていて、そこから癒やしや活力が得られる場所」、「神社仏閣などの神や仏の宿る場所で、訪れることでご利益(健康・金運・仕事運など)が期待できる神聖な場所」のことだ。

1883年(明治16年)、開拓団体「晩成社」が帯広に移住し、1890年(明治23年)には祠を建てて「帯廣神社」と称した。これが起源ともされるが、帯廣神社はそれを認めていない。1910年(明治43年)、札幌神社(現在の北海道神宮)より御分霊を祀った。 


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帯広の祖 依田勉三

依田勉三は、北海道開墾を目的として結成された「晩成社」を率いて、帯広市を開拓した。そんなことは帯広の人ならば誰だって知ってることだ。六花亭の銘菓「ひとつ鍋最中」は、勉三が開拓当時によんだ句「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」に由来することも、たぶん知っているだろう。

でも依田勉三慶應ボーイだったことは知らなかった。「ひとつ鍋」のイメージが強く頭に刻まれていたので、勉三は貧しい家庭で苦労したのだろうと思い込んでいた。そうではなくお坊ちゃんだったようだ。次男とはいえ、伊豆松崎町豪農に生まれている。

勉三は、福澤諭吉らの影響があって北海道開拓の志を立てた。が、病気のために慶應を中退して一旦郷里に帰る。それでも志は変わらず、「人口増加問題」を何とかしようという国家目線のゴールを掲げて、北海道の未開地を開拓すべく行動に移す。ベンチャー企業「晩成社」を結成して、帯広に乗り込んだのだ。

晩成社は失敗に終わるが、開田事業は成功して、勉三は帯広の祖、十勝開拓の父と呼ばれている。


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いわない温泉 高島旅館

高島旅館は予約が取りづらい宿といわれているそうだ。ここを私が決めたわけではないので、詳しくは知らない。夕食に近くで取れた新鮮な魚介類が多数出てきた。それが高島旅館に人気が集まる秘密なのだろう。

Wikipediaによると、いわない温泉は1974年(昭和49年)に円山高原リゾートエリアでの温泉開発が始まり、1978年(昭和53年)に開湯した。岩内町には1844年に開湯の朝日温泉、1963年に開業の雷電温泉があったが、いずれもいまは営業されていない。ここが唯一の温泉だ。 


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ロビー


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テラス


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夕食―1


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夕食―2


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夕食―3


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夕食―4


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夕食―5


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夕食―6


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夕食―7

 

 

 

 

 

道の駅スペース・アップルよいち

この道の駅には「スペース童夢」が併設されている。正式の名前は「余市宇宙記念館」だ。知ってるひとはわかるでしょう。初の日本人宇宙飛行士となった余市町出身の毛利衛さんを称えてつくられた記念館だ。

余市宇宙記念館の運営は第3セクターがおこなっていた。2008年(平成20年)12月で会社が清算され、記念館は休館となる。その後、町営施設として2010年(平成22年)4月に再開された。

余市インターチェンジ付近に2025年開業を目処に新たな道の駅の計画が進められているという。記念館の行く方が気になる。


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北海道庁旧本庁舎庭園

赤れんが庁舎の木々と太陽の光で目を覚ます。そんな贅沢な朝をソラリア西鉄ホテルで迎えるはずだった。が、赤レンガはただいま修繕工事中。

北海道庁旧本庁舎は、「赤れんが」の愛称で知られる煉瓦づくりの建物だ。新庁舎ができるまで約80年に渡って道政を担ってきた。1888年明治21年)に建てられたアメリカ風ネオ・バロック様式の建築である。


f:id:dubro:20231011210930j:image旧本庁舎庭園の入口


f:id:dubro:20231011211131j:image庭園内にある池とその周辺


f:id:dubro:20231011211159j:image旧本庁舎庭園の樹木たち


f:id:dubro:20231011211232j:imageソラリアから見下ろす

  

モエレ沼公園の「ガラスのピラミッド」

全体は彫刻家のイサム・ノグチがデザインしてアーキテクト・ファイブが実施設計をおこなった。三角面と四角錐の立方体が組み合わされたガラスの建築物「ガラスのピラミッド」は時間ごとに映りこむ景色が変わり、様々な表情を見せてくれる。

廃棄物処理場が、23年の歳月を経て札幌を代表するアートパークとして再生した。その雄大な姿は、文字通りに「大地の彫刻」だ。 

施設内には、海外でも評価が高い本格フランス料理レストラン「ランファン・キ・レーヴ」がある。夜に予約したのだが、迷いに迷って、入口がなかなか見つけられなかった。ピラミッドの辺りは、夜は真っ暗だ。初回は要注意です。  


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ウポポイ(民族共生象徴空間)

森崎博之安田顕・戸次重幸・大泉洋音尾琢真の5人による、日本の演劇ユニットのTEAM NACS。彼らが公式サポーターを務めるウポポイに行ってきた。白老町にある。2020年7月12日にオープン。愛称「ウポポイ」は、アイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」を意味する。

ウポポイは、アイヌ民族の歴史や文化を展示物や体験プログラムを通じて学ぶことができる施設だ。アイヌ文化の復興や発展を推進するためのナショナルセンターとして、アイヌの文化を伝承・共有をしていていくための象徴として誕生した。

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