帯広の祖 依田勉三

依田勉三は、北海道開墾を目的として結成された「晩成社」を率いて、帯広市を開拓した。そんなことは帯広の人ならば誰だって知ってることだ。六花亭の銘菓「ひとつ鍋最中」は、勉三が開拓当時によんだ句「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」に由来することも、たぶん知っているだろう。

でも依田勉三慶應ボーイだったことは知らなかった。「ひとつ鍋」のイメージが強く頭に刻まれていたので、勉三は貧しい家庭で苦労したのだろうと思い込んでいた。そうではなくお坊ちゃんだったようだ。次男とはいえ、伊豆松崎町豪農に生まれている。

勉三は、福澤諭吉らの影響があって北海道開拓の志を立てた。が、病気のために慶應を中退して一旦郷里に帰る。それでも志は変わらず、「人口増加問題」を何とかしようという国家目線のゴールを掲げて、北海道の未開地を開拓すべく行動に移す。ベンチャー企業「晩成社」を結成して、帯広に乗り込んだのだ。

晩成社は失敗に終わるが、開田事業は成功して、勉三は帯広の祖、十勝開拓の父と呼ばれている。


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